2018年02月20日
2月20日 期末試験採点作業終了 1アマ国家試験受験手続き完了
2月20日
後学期末試験の採点作業がようやく終わった。
枚数はそれほど多くはないが、採点作業は嫌いなのだ。
これほど苦しい作業はない。
誰もがみな優(A)ではない。
不可(F)もいる。
Fはつけたくないが、常日頃の出席態度もある。
あれやこれやで、先延ばししたい。
でも、いつかは終えないといけない。
しかたなしに、嫌々ながらもやっていた。
今日、ようやく終わった。
開放感に浸っている。
これで4月までは自分の専門分野の仕事に時間を使える。
ところで、第1級アマチュア無線技士の国家試験のことである。
気乗りはしなかったが、結局のところ受験することにした。
というのは、つい最近、「自分の身にいつ何が起こるかわからない」ということを
実感させられたからだ。
実は1月25日から28日まで大学付属病院に入院していた。
検査入院であった。
その前には、血液検査にMRI検査。
自覚症状も何もないのに検査だと言われると何かしら自分が病気になったみ
たいに思ってしまう。
心配しながら聞き入った。
担当医師は「血液検査の結果は特に異常はありません」、
「MRI検査の結果でも、特に異常は見当たりませんでした」。
其の後がいけない。
「ですが、念のため入院して精密に検査することを勧めます」。
「がっくりきますね、先生」と喉元まで出かかった。
が、それはそれ、やはり知的な私のことだから、その一言は、あるいは気が弱い
からか、ぐっと飲み込んだ。
ということで結局は入院して検査することになった。
1月25日に入院し、28日に退院した。
退院時、病院の担当医師から、「検査結果は2月13日に来院下さい。担当医か
ら検査結果について説明します」と告げられた。
それからの2週間は実に長かった。
2月13日が来た。
気が重いが、大学付属病院へと車を走らせた。
説明を聞くだけなのだが、廊下の椅子で待つ時間が異常に長く感じられた。
待った時間は時計では1時間ほどだったが、実に長く感じられた。
「〇〇さん、〇〇番の検査室にお入りください」と医師から一人ずつと名前が呼ばれる。
一瞬、ギクッ。
ああ、自分じゃない。
ほっと一息。
次かな。
またしばらくして「〇〇さん・・・・・」というアナウンス。
違った。
次かな。
その繰り返し。
最後の最後、廊下に診察待ちの人がいなくなってからようやく私の名が呼ばれた。
ああ、ついに検査結果の説明の時がきた。
おそるおそる検査室に入り、担当医師の顔色を伺った。
渋い顔はしていないように感じられた。
ほんのちょっと安心した。
「その後どうでしたか」と退院後の状況を聞かれたので、「特段変わったことはありません
でした」と返事。
担当医師は「検査の結果、特に異常はありませんでした」と切り出した。
自分が思うに、もともと「特に異常なし」なのだから、検査の結果それが単に「確認」
されただけでのことである。
でも、「異常なし」は実に嬉しいことだった。
無事に家に帰れるのだから、家への道は天国への道である。
かつて、裁判所の傍聴席で判決を聞いたことがある。
「無罪」が言い渡され、娑婆に帰れるとすれば、ドアの向こうはいわば天国である。
逆に、有罪で収監になるなら、連れて行かれるドアの先は刑務所、いわば地獄である。
判決を聞いていて鳥肌が立ち、身震いした。
裁判所は実に恐ろしいところなのだと実感した。
病院も、ある意味で、同じである。
医師が「異常ありません」と言えば、安心して家に、つまり天国へ帰れる。
しかし、「すぐに入院して手術の必要があります」と言われれば、それから先は闇、
はては地獄につながっているかもしれない。
やはり、いつ何時、事故、ケガ、病気など何があるかわからないのだ。
何もないいまこそ、「やれることは今やっておく」ことが大事だと実感した。
そこで、病院から帰ったあと、すぐに日本無線協会にアクセスし国家試験申請シス
テムから1アマ国家試験の受験を申請し、メールの指示に従って郵便局から試験
手数料を振り込んだ。
昨日、状況確認をすると受験手続きは完了している旨の表示がなされた。

これで、4月7日(土)に受験するだけとなった。
新学期で講義が始まる前に国家試験が終わるので都合がいい。
後学期末試験の採点作業がようやく終わった。
枚数はそれほど多くはないが、採点作業は嫌いなのだ。
これほど苦しい作業はない。
誰もがみな優(A)ではない。
不可(F)もいる。
Fはつけたくないが、常日頃の出席態度もある。
あれやこれやで、先延ばししたい。
でも、いつかは終えないといけない。
しかたなしに、嫌々ながらもやっていた。
今日、ようやく終わった。
開放感に浸っている。
これで4月までは自分の専門分野の仕事に時間を使える。
ところで、第1級アマチュア無線技士の国家試験のことである。
気乗りはしなかったが、結局のところ受験することにした。
というのは、つい最近、「自分の身にいつ何が起こるかわからない」ということを
実感させられたからだ。
実は1月25日から28日まで大学付属病院に入院していた。
検査入院であった。
その前には、血液検査にMRI検査。
自覚症状も何もないのに検査だと言われると何かしら自分が病気になったみ
たいに思ってしまう。
心配しながら聞き入った。
担当医師は「血液検査の結果は特に異常はありません」、
「MRI検査の結果でも、特に異常は見当たりませんでした」。
其の後がいけない。
「ですが、念のため入院して精密に検査することを勧めます」。
「がっくりきますね、先生」と喉元まで出かかった。
が、それはそれ、やはり知的な私のことだから、その一言は、あるいは気が弱い
からか、ぐっと飲み込んだ。
ということで結局は入院して検査することになった。
1月25日に入院し、28日に退院した。
退院時、病院の担当医師から、「検査結果は2月13日に来院下さい。担当医か
ら検査結果について説明します」と告げられた。
それからの2週間は実に長かった。
2月13日が来た。
気が重いが、大学付属病院へと車を走らせた。
説明を聞くだけなのだが、廊下の椅子で待つ時間が異常に長く感じられた。
待った時間は時計では1時間ほどだったが、実に長く感じられた。
「〇〇さん、〇〇番の検査室にお入りください」と医師から一人ずつと名前が呼ばれる。
一瞬、ギクッ。
ああ、自分じゃない。
ほっと一息。
次かな。
またしばらくして「〇〇さん・・・・・」というアナウンス。
違った。
次かな。
その繰り返し。
最後の最後、廊下に診察待ちの人がいなくなってからようやく私の名が呼ばれた。
ああ、ついに検査結果の説明の時がきた。
おそるおそる検査室に入り、担当医師の顔色を伺った。
渋い顔はしていないように感じられた。
ほんのちょっと安心した。
「その後どうでしたか」と退院後の状況を聞かれたので、「特段変わったことはありません
でした」と返事。
担当医師は「検査の結果、特に異常はありませんでした」と切り出した。
自分が思うに、もともと「特に異常なし」なのだから、検査の結果それが単に「確認」
されただけでのことである。
でも、「異常なし」は実に嬉しいことだった。
無事に家に帰れるのだから、家への道は天国への道である。
かつて、裁判所の傍聴席で判決を聞いたことがある。
「無罪」が言い渡され、娑婆に帰れるとすれば、ドアの向こうはいわば天国である。
逆に、有罪で収監になるなら、連れて行かれるドアの先は刑務所、いわば地獄である。
判決を聞いていて鳥肌が立ち、身震いした。
裁判所は実に恐ろしいところなのだと実感した。
病院も、ある意味で、同じである。
医師が「異常ありません」と言えば、安心して家に、つまり天国へ帰れる。
しかし、「すぐに入院して手術の必要があります」と言われれば、それから先は闇、
はては地獄につながっているかもしれない。
やはり、いつ何時、事故、ケガ、病気など何があるかわからないのだ。
何もないいまこそ、「やれることは今やっておく」ことが大事だと実感した。
そこで、病院から帰ったあと、すぐに日本無線協会にアクセスし国家試験申請シス
テムから1アマ国家試験の受験を申請し、メールの指示に従って郵便局から試験
手数料を振り込んだ。
昨日、状況確認をすると受験手続きは完了している旨の表示がなされた。
これで、4月7日(土)に受験するだけとなった。
新学期で講義が始まる前に国家試験が終わるので都合がいい。